症状別にくわしく知っておきたい!

【認知症の症状8】帰宅願望

 

認知症の記憶障害は新しい記憶から保管していくことができなくなります。

 

そして、さらに進行していくと記憶がさかのぼっていくことで現在と過去の区別がつかなくなることも。

 

このような状態になると、よく現れるようになる症状が帰宅願望です。

 

自分の家なのに

 

何十年も住んでいる自分の家。

 

それなのに、ある日、荷物をまとめて・・・

 

「お世話になりました。私はそろそろ家に帰ります」

 

このように、認知症の症状である帰宅願望が現れることがあります。

 

この時、本人の世界はいったいどのようになっているのでしょうか?

 

私たちは、なぜ家に帰ろうとするのか?

 

認知症の人の帰宅願望を理解するためにも、

 

私たちも含めて、「なぜ、人は家に帰ろうとするのか?」

 

誰もが当たり前だと思っているこのことを、もう一度よく考えてみましょう。

 

それを理解するためには、まず、

 

私たちは「なぜ、家から出かけようとするのか?

 

このことを先に考えてみましょう。

 

それによって、帰ろうとする意味が見えてきます。

 

私たちが出かける理由

 

一般的にほとんどの人が、家から外にでかけていきますよね。

 

では、あなたに質問します。

 

 

※何のために外に出かけるのですか?

 

 

 

 

 

仕事に行って、働かなきゃ給料がもらえないから


 

 

 

 

 

友達と遊びに行きたいから!


 

 

 

 

 

買い物に行って食料や必要な物を手に入れたいから


 

 

 

そうですよね。

 

これらのことをするためにも、私たちは家から外に出かけます。

 

 

では、逆の質問をしますね。

 

 

 

※なぜ家に帰ろうと思うのですか?

 

 

 

 

 

仕事が終わったから


 

 

 

 

 

遊び終わったから


 

 

 

 

 

買い物が終わったから


 

 

 

そうですね。

 

このように誰でも、家を出かける時はそれぞれの「目的」があります。

 

そして目的が終われば、帰ろうと思います。

 

行動の先にはいつも目的がある

 

私たちは、家から出かける時は「目的」があるから出かけていきます。

 

そして、目的が達成されれば家に帰りますよね。

 

その「家に帰ること」にもきちんと目的があります。

 

「休息をとるため」

 

「自分の好きなことをするため」

 

「家族の世話をするため」

 

これらのも目的があるからこそ、私たちは「外に出かけるとき」も、「家に帰るとき」も行動にうつします。

 

では、この視点から、認知症の人の世界に入ってみましょう。

 

認知症の人も同じく目的を求めている

 

認知症の記憶障害になると、新しい記憶から失っていきます。

 

ドンドンさかのぼり、過去の記憶が本人にとって最先端の情報になることに。

 

そのため、何十年も暮らしてきた家であっても記憶のストックから消えてしまえば、他人の家に見えてしまうのです。

 

このとき、本人にとって最先端の記憶にあるのは、昔の家。

 

そこにさらに拍車をかけるのが、認知症の進行です。

 

「今まで普通にできていたことが、なぜかできない!」

 

このようになれば誰でも不安になるのではないでしょうか?

 

私たちはつねに「必要とされたい」と思っているもの。

 

(記事参照:認知症の人が求めているものは何か?

 

その思いが叶わない場所ならば、たとえ自分の家であっても居心地が悪くなってしまいます。

 

さらに他人の家だと思ってしまえば、ますます居心地が悪いと思うのではないでしょうか?

 

そのような状態の中、本人の記憶に昔の家が残っていたとしたら・・

 

本人の世界では、その昔の家に今でも自分を必要としている家族が待っているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

目を閉じれば、しっかりと昔の家と家族が見えます。

 

それは若い時の自分の姿かもしれません。

 

幼い時の自分の姿かもしれません。

 

このとき、誰でも「家に帰らなきゃ!帰りたい!」と思うのは普通ではないでしょうか?

 

このような認知症の人の帰宅願望は、私たちも目的があるから家に帰ろうとするのと同じであり、決しておかしな行動ではないのです

 

意味と必要があれば居場所に落ち着く

 

自分の家にいても、古い家に帰ろうとするのは「必要とされてる場所」に戻ろうとする欲求です。

 

ですから、施設にいて帰宅願望が現れるのは少しも不思議ではありません。

 

ではこのような帰宅願望には、どのように対応すれば良いのでしょうか?

 

ある施設の中でこのような例がありました。

 

80才代のAさん(男性)

 

とても働き者で認知症を発症する前は退職してからもシルバー人材センターで働いていました。

 

やがてAさんは血管性認知症と診断され、施設に入所することに。

 

Aさんは、施設のレクリエーションに「バカバカしい!」といって参加しません。

 

また、他の利用者といっさい会話もしません。

 

そして毎朝決まって、

 

「仕事に行く!なぜ邪魔をする!」といって出て行こうとします。

 

そこで、職員が、簡単な作業をAさんに手伝ってもらうことにしました。

 

すると、Aさんは落ち着きを取り戻し、与えられた作業を黙々とこなし日々を過ごすようになりました。

 

もう、「仕事に行く!」といって暴れることはありません。

 

それどころか、会話をしなかった他の利用者も助けてあげるようになり、社交の輪も広がったのです。

 

このAさんを例に考えてみましょう。

 

Aさんが「仕事に行く!」といって暴れたのはなぜでしょうか?

 

それは・・

 

Aさんにとって施設にいる「意味、目的」がなかったからです。

 

そのため、Aさんは記憶に残っている「自分を必要としてくれている仕事」に行こうとします。

 

そこで、職員がAさんに「作業を任せる」つまり・・

 

「Aさんが施設にいる意味、目的」を与えてあげると・・

 

 

 

 

症状が安定

 

 

このようになったのだと思われます。

 

このように、私たちは、家、施設に関係なく、自分が今の場所にいる目的や意味さえあれば、そこから去ろうとはしません。

 

現に、帰宅願望のある人が食事の途中やお風呂の途中に、「帰ります」という人はほとんどいないはずです。

 

 

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意味と目的をもたせてあげる

 

帰宅願望の一般的な対応法として、

 

■お茶をすすめて引き止める

 

■あとから、そっと尾行して、本人が疲れてきた頃に声をかけて連れ戻す

 

このような方法があります。

 

確かにこれらは良い対応法であり、本人も落ち着くことができるでしょう。

 

しかし、その場限りでしかありません。

 

今いる場所に意味と目的が見つからない以上、繰り返し帰宅願望は出てくるでしょう。

 

そこで、自宅であっても、施設であっても、

 

帰宅願望のある場合には、そこにいる意味と目的をもたせてあげることが大切です。

 

たとえば、「火の取り扱いができないから」といって家事から遠ざけてしまうのではなく、

 

茶碗を拭いたり、食器棚にしまったり、本人ができることならば、手伝ってもらうようにしましょう。

 

その時に、手伝ってもらって助かったということを言葉でしっかりと伝えてあげます。

 

 

 

 

 

ありがとう!すごく助かるよ


 

 

 

 

 

そうかい


 

 

 

 

このように、本人に「必要としている」ことをしっかりと伝えてあげましょう。

 

普段の会話の中でも、「いてくれて嬉しい」という気持ちをあらわしてあげるようにします。

 

また、いつも本人に「必要である」と伝えれる最も簡単な方法があります。

 

それは・・

 

介護人のあなたの笑顔です。

 

人は誰でも相手に笑顔を向けてもらえると自分のことを受け入れてくれたと感じるもの。

 

笑顔の威力は私たちが思っている以上にとても強力なのです。

 

「感謝」の気持ちをベースに

 

認知症と話がズレるようですが、筆者の私が日々思っていることを話したいと思います。

 

これはクルマの販売関係の人から聞いた話です。

 

クルマが故障するとき、偶然かどうかわからないけれど、オーナーの人が、

 

「そろそろ新しいクルマに買い替えようか」

 

などと話したあとに、故障がおこるケースがよくあるとのことでした。

 

この話に私はとても興味を覚えました。

 

そこでクルマが生まれた原点を考えてみたのです。

 

クルマは走るために生まれました。

 

人を運んで、荷物を運んで、走るために生まれました。

 

そんなクルマは必ず誰かが設計し、組み立てて完成されてから、オーナーのもとにやってきましたよね。

 

そのクルマには、もしかしたら携わった人たちの「役に立ってもらいたい」という想いが入っているのではないでしょうか?

 

そして、その想いがクルマを元気よく走らせているのではないかと思うのです。

 

 

 

 

 

 

つまり、クルマはただの鉄の塊ではなく携わった人たちの想いが入った生き物なのではないでしょうか?

 

しかし、オーナーに・・

 

「もう、お前は古くなった、必要がない」

 

と言われてしまえば・・

 

必要がなくなった、もう役には立てない・・

 

この瞬間、クルマから携わってきた人の「想い」が抜けてしまうことに・・。

 

するとクルマはただの鉄の塊に・・

 

 

 

 

こうなってしまうからこそ、オーナーに必要性をなくされたクルマは故障しやすくなるのでは?と思いました。

 

その視点から私たちの周りを見ると、目覚まし時計や本やヌイグルミ、掃除機・・

 

全てのありとあらゆる物に「必要とされたい」という想いが入っているのでは?と感じるのです。

 

 

 

 

 

 

ということは、私たちは、普段からいつも感謝したい中で暮らしているのではないでしょうか?

 

そして・・

 

このように物に想いがあるのならば、

 

生身の人間にはもっともっと「必要とされたい」という想いがあって当然だと思うのです。

 

むしろ、この想いが私たちの生きる根源なのかもしれません。

 

 

しかし、認知症はとても残酷な病気です。

 

今まで自力で「必要とされたい」という想いを叶えることができたのに、それが不可能になるのですから。

 

だからこそ、「必要とされている場所に帰ろう」という帰宅願望がおこるのではないでしょうか?

 

このようなとき、

 

周りが、「あなたがいてくれて嬉しい」という感謝の気持ちを向けてあげることができれば、

 

どこにいても、「必要とされている」という想いを継続できると思うのです。

 

もちろん、何を示せば必要と感じてもらえるのかは人それぞれでしょう。

 

ですが、他人から感謝されて嬉しくない人はいません。

 

このように、帰宅願望という症状から、大切な人への適した対応法を見つけていってもらえたらと思います。